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家正作 峯方拝郷久盈帯之
文明十三年八月日
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名刀 研磨ご依頼品
基本情報
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家正作 峯方拝郷久盈帯之
文明十三年八月日
法量 一尺六寸四分
元幅 三十三粍
元重 九・五粍
先幅 約二十六粍
茎長 五寸一分八厘
反り 一・二粍
目釘穴 一
造り 変わり冠落造・庵棟
樋 棒樋表裏に彫る
刃文 湾れ、帽子小丸に返る
※令和二年十二月吉日【研磨】◆◇◆
※【ハバキ製作】◆◇◆
※【白鞘製作】◆◇◆
本作は織田信長が武将 拝郷家嘉(久盈)に対し、柴田勝家の与力として北陸平定の応援を求めた書状と共に贈った名刀。
拝郷家嘉(はいごう いえよし)= 久盈(ひさみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。名は。加賀国大聖寺城主。天文18年(1549年)、尾張国で誕生。織田信長に仕え、後に柴田勝家の与力となる。天正4年(1576年)、勝家が信長から北陸方面軍司令官に任ぜられると、勝家の副将として佐久間盛政、柴田勝政らと共に加賀一向一揆の征伐に従軍、犀川に陣をとり一向一揆の総本山尾山御坊(金沢御坊)の総攻撃に加わった。尾山御坊制圧後は、それまでの加賀千代城(1万石)から加賀大聖寺に8万石に加増され大聖寺城主となり重用された。松山城に一揆方の徳田小次郎・坪坂新五郎が篭ると柴田勝政と共に攻撃し再占している。一揆方に奪還された鳥越城・二曲城を柴田方が再度制圧すると、一向一揆の勢力は白山山麓に移る。この頃の事か三州史には尾州の産にして絶勇の男なり泣く子も拝郷と言えば泣き止む程の猛将であったと伝えている。石動山の戦いでは前田利家と共に石動口から攻め入っている。
ちなみに漫画『子連れ狼』の主人公である拝一刀は、拝郷家嘉(久盈)の曾孫という設定。