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2022.07.30

備前国長船住景光 a.k.a 小竜景光

【備前国長船住景光 a.k.a 小竜景光】

時は南北朝時代、南朝方の後醍醐天皇に仕えた楠木正成。

楠木正成の愛刀は、【景光(かげみつ)】。通称【小竜景光】【覗き竜景光】と呼ばれている。景光は鎌倉時代の備前国(岡山県)の刀工・景光作の太刀であり、ハバキ元に倶梨伽羅竜の彫り物があることからこの名で呼ばれている。楠木正成の愛刀であったと伝えられていることから【楠公景光】とも呼ばれ、現在は国宝とし東京国立博物館に収蔵されている。現在、この太刀の刃長は、73.93cmであるが、これはいつの時代かに短く刷り上げられたものであり、茎を検証したところ、元々の刃長は 84.14 cm (2尺7寸7分7厘)程度と、かなり大振りな太刀であった事が推測できる。身長が6尺(約182cm)あったと伝えられる楠木正成が、馬に跨り、猛々しく大太刀を振るう姿は、さぞ豪快であったことだろう。楠木正成は、自らの命も名も捨て、戦いの勝敗も功業(てがら)も無視して、ひたすら忠の一義に徹し、湊川の戦いにて戦死。佩刀は一旦行方不明となる。

その後、紆余曲折有り、その刀は豊臣秀吉の手に渡り、その後に、徳川家康の手に渡る。しかし何かの悪い事でも起こったのか、徳川家が手放し、その後行方不明となる。

そして幕末に至っては、なぜか大阪の農家が持っているのを刀屋が発見し、買い上げた。なんでも「祟って、病人が絶えない」という事で、農家が売却を希望したらしい。当初は正真と鑑て買い上げた刀屋であったが、いささか心配となり、【折り紙(鑑定書)】を求めて、江戸の本阿弥家に鑑定を依頼したところ、本阿弥家はこれを【偽物】と鑑定。

その後、その刀は、旗本で、愛刀家であった中村八太夫が買い上げるが、中村八太夫は、しばらく後に病死。

中村の死後は、中村家に出入りしていた刀剣商【網屋】がその刀を預かり、勤王派の大名である毛利家に持ち込んだ。毛利家は南朝の忠臣・楠木正成の佩刀ならばと、【網屋】の言い値通りで買い上げた。しかし、本阿弥家が【偽物】と鑑定したという情報を耳にした毛利家は、すぐさま【網屋】を呼びつけ、厳しく叱り、その刀を突っ返した。毛利家は【網屋】を末代まで出入り禁止とした。
【網屋】は確信した、「やはりこの刀は祟られている・・・」

【網屋】は、徳川幕府・公儀介錯人の山田朝右衛門ならば、首斬りが商売だから、祟りなど問題にすまいと考え、山田家へその刀を持ち込む、山田朝右衛門は一目見ただけで、それを「正真」と判断し、快く買い上げた。山田の目に狂いは無かった。

山田朝右衛門が【景光】を手に入れた。その噂は、山田が出入りしていた井伊家に伝わり、目聡い井伊直弼は山田朝右衛門に詰め寄り、半ば強引にそれを買い取った。

楠木正成の【楠木】姓は後醍醐天皇から授かったもので、元々の姓は【橘】。※橘氏の流れを自覚していた井伊氏にとって楠木正成は武神的な存在であったので、何としてでも手に入れたかったのであろう。

※橘氏の流れをくむ井伊氏
藤原氏との勢力争いに負け流刑となった【橘逸勢】。その長女(妙冲)と遠江の豪族で継体天皇の後裔である三国共資との間に生まれたのが、初代・井伊家となる【井伊共保】という説がある。実際、井伊共保には弟と妹がおり、それら兄弟には【橘】姓を与えている。

【楠公景光(小竜景光)】を手に入れた井伊直弼は、その後間も無く桜田門外で銃弾に倒れた。これも刀の祟りであろうか...

その後、山田朝右衛門は「あれほど熱心の直弼様が亡くなっては、もう井伊家に置く必要もあるまい。刀を返してもらおう」と、井伊家に出向いた。売った刀を買い戻そうというわけである。こうして【景光】は再び、山田朝右衛門家に返還された。

その後、維新を経て、明治になると、徳川幕府・公儀介錯人の山田朝右衛門は完全に失業し、【景光】を手放さざるを得なくなった。それを山岡鉄舟が買い受けて、明治天皇に献上した。

なぜか”南朝贔屓”であった明治天皇は、南朝の忠臣・楠木正成の佩刀という事で、大変お気に召され、常に身近に置かれていたそうだ。

今次大戦後は、宮内庁から東京国立博物館に移され、現在は国宝に指定されている。

以上、【小竜景光】に纏わるストーリーを伝えられているままに紹介したが、このストーリーには幾多の疑問が残る。また、その刀が100%正真と立証できる証拠も無い。しかし、それは他の国宝級の古名刀とて同じこと。
確かな事は、その刀が今も尚、人々の心を惹きつけて止まないということだ。
その鋼の煌めきに憧れの眼差しを注いだ多くの人間達、時代のうつり変わり、それを物言わず見守り続けてきた【楠公景光(小竜景光)】。
その鋼に多くの人々の楠木正成への憧れの念が吸収されている事は間違いない。

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