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gallery 日本風景(Japanese scenery) <肥後国(熊本)の画像集 > Higo Kuni - Kumamoto Pics 八代神社(妙見宮)、幣立神宮(幣立神社)、加藤神社、熊本城、日奈久温泉 八代神社は、妙見宮とも呼ばれ、上宮、中宮、下宮の三社よりなり、本社はその中の下宮です。 この八代神社(下宮)は、文治2年(1186)八代平野の要の位置にあたるこの地に建立されました。 天正十六年、小西行長の兵火にかかり焼失。後、【加藤清正】によって再建。 現在の建物は、元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に本格的に改築されたものです。 社殿は県指定の重要文化財になっており、屋根は入母屋造りで、正面に千鳥破風が設けられ、 これらの妻飾りには数多くの彫刻が使用され、江戸時代中期から後期にかけての社寺建築の 特徴をよく表わしています。11月中旬にある祭礼は、九州三大祭りの一つに数えられ、神事の 神幸行列は、県の無形民俗文化財に指定されています。 妙見宮の由来は以下の通り 妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。 妙見神の来朝 天武天皇、白鳳九年(六八〇)、妙見神は、神変をもって、目深・ 手長・足早の三神に変し、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津より 【亀蛇(玄武)】に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に来朝せり。 妙見宮(上宮)の創建 桓武天皇、延暦十四年(七九五)、乙亥、国司桧前(ひのくま) 中納言政丸、三室山横嶽にこれを創建す。 妙見中宮寺の創建 二条天皇、永暦元年(一一六〇)、庚辰三月十八日、従五位肥後守 平貞能、横嶽の麓に建立す。 妙見宮(下宮)の創建 後鳥羽天皇、文治二年(一一八六)、丙午十一月十八日、検校散位 大江高房、妙見上宮を太田郷宮地の地に遷座しめる。 八代神社(妙見宮)は、北極星、北斗七星、玄武を、崇拝しており、 劉邦の家臣【張良】が度々言及していた、黄帝の八代前神農時代の 仙人【赤松子(セキショウシ)】とも繋がりがある神社。 八代神社(妙見宮)は、中央構造線上にある神社の1つ。
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